ご覧頂きありがとうございます。
貧乏大家族出身の
アメリカの大学留学経験者
MAYUMIです。
今回、私がなぜアメリカの4年制大学へ
留学することになったのか、
どうして留学できたのか、
すべてをお話します。
かなり長文ですので、
ゆっくりお時間が取れるときに
リラックスして
読んで頂ければと思います。
この記事を書くにあたり、
たくさんの思いが浮かんできました。
特に、
私と同じように家計が苦しいことで
大学進学を諦めたり、
お金がないから…
と、海外留学を
諦めている方の希望になれればと思い、
この記事を書いています。

「私の家族は貧乏だから、
大学進学は諦めて地元で就職しよう…」
「海外留学はとてもお金がかかるから、
自分が行きたくても無理だよな…」
「アメリカの大学で勉強したいけど、
自分の英語力で勉強についていける
自信はない…」
そう思っているあなた、
大丈夫です。
私も同じ状況でした。
むしろ、
もっとひどい状況でした。
ここからは私の生い立ちも踏まえて、
なぜアメリカの大学へ留学することに
なったのかをお話したいと思います。
目次
田舎の7人兄弟の4女として産まれる

私は島根県の田舎で、
個人で小さく米農家をしている
家族のもとへ産まれました。
( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )おぎゃー!
7人兄弟の4番目で、
父母と祖母、ひ祖母と暮らす
計11人の大家族の中で育ちました。
基本的に農業での収入はなく、
母が保険会社で働いて
家のローンや学校関係の支払いを
まかなってくれていました。
お父さんが育てたお米や
おばあちゃんが育てた野菜があったので
食べ物には困りませんでしたが、
兄弟が多かったので
色々なものを人から頂いていました。
小さい頃は田舎ということもあり、
野山を駆け回って遊んでいました。
あと、私の家族はクリスチャンで
毎週日曜日に教会へ行っていました。
教会の活動でみんなで
カラオケに行ったり海に行ったり
家族や周りの人と一緒に
楽しい時間を過ごしていた
記憶もたくさんあります。
お金のない人生と海外ボランティアの経験
子供時代は
家族総出で農作業を手伝っていました。
小学生のころから
時給500円で
稲の種を植えたり
育苗箱(稲の苗を作る箱)を洗って
お小遣いを稼いでいました。
冬はお米が作れないので
膝まで雪が積もっている中、
津田カブを収穫したり
洗ったりしていました。
しかし、
冷たすぎて、痛くて
号泣したこともありました。
(マジで痛くて歩けませんでした!)
私が高校生の時、
家族が学費を払うのも難しかったので
奨学金を受けて高校へ通っていました。
高校3年生になり
進路を決めなければならない時に、
担任から地元の国公立大学の
推薦が受けられると言われました。
その時の私は、
大学へ進学するか就職するか
本当に迷いました…。
私には3人の姉がいて、
3人とも高校を卒業して
すぐに就職をしていました。
なので、
私だけ大学に進学して
親に負担をかけたくないし
自分の奨学金も返さなせればいけない
と思い、
進学してみたい気持ちはありましたが、
結局、
就職の道を選びました。

高校卒業後、
地元の合板工場の
営業事務で働きました。
働くことには慣れていたし
仕事自体は楽しく
給料も比較的良かったので
だいたい満足していましたが、
その職場は残業代が付かず
たまに、
夜10時ころに家に帰ることも
あるようなブラックな会社でした…。

働き始めて2年経った頃、
会社の常務が変わり
働き方改革をしてくださり
残業代も支給されるようになりました。
そして次の年、
給料が増えたこともあり
早めに高校の奨学金の返済が
完了しました!
◝(⑅•ᴗ•⑅)◜(やったー!)
そして、
奨学金を完済して
何か新しいことに
チャレンジしてみたいと
感じるようになりました。
そこで、
私が小さい頃から通っている
教会のボランティアに
行ってみようと思いました。
このボランティアは
自分でお金を貯めて
教会本部へ申請するもので、
1年半の間奉仕活動を行います。
国や行き先を
自分で決めることはできません。
ただ、私は何かしたい!
という思いで、
申請のために健康診断を受けたり、
予防接種を受けたりして
どんどん手続きを進め、
面接を行って書類を提出しました。
そして約3か月後に、
アメリカのハワイ州で
奉仕をしてくださいとの
連絡を受けました。Σ(゚ロ゚;)ハワイ!?

ちなみに、当時の私は
「This is a pen」
くらいの英語しか分からないし
全く英語を話せなかったのですが、
ボランティアに行くことへ意欲は強く
何とかなるだろうと
持ち前のポジティブさと無鉄砲さで
そのままアメリカへ向かいました。
しかし、この無鉄砲さで
後から泣くことになるとは…。
ボランティアへ行く前に、
アメリカ本土にある
トレーニングセンターへ
1か月間英語などを学びに行きました。
最初のクラスでは、
先生やクラスメートが
話していることが全く分からず
本のページの数字だけを聞き取って
この内容を話しているんだなー
( ³ω³ )(うーん…分からん)
くらいにしか
クラスに参加できませんでした。
ある日、
グループで英語で話す練習をする
機会がありました。
私は事前に
電子辞書などを使って
基本の英文や単語を調べたりして
自分なりに英文を作ってみました。
そして、
一緒のグループになった
トンガ人とキリバス人の子たちに
自分の作った英文で
話してみましたが、
「何を言っているか分からない」
「何が言いたいか分からない」
ということを言われ、
(それすらもちきんと理解できず)
それに対して、
「I’m sorry…」
しか言えない自分に絶望し
号泣してしまいました。

それから、
もっと頑張ろう!
と気持ちを切り替えて、
毎日、新しい単語を20個覚えたり
発音の練習をしました。
トレーニングセンターで
英語のみ話す生活が1カ月続き
少しずつ分かる単語も増えてきた頃、
奉仕先のハワイへ
行くことになりました。
(@_@;)(えっ!もう!?)
ボランティア先では、
トレーナーと呼ばれる先輩が
指導をしてくれることになっていました。
私のトレーナーは韓国人で、
私があまりにも英語が話せないので
いつも頭を抱えていました。
(本当にこんな感じでした…。)
この先輩が結構”個性的”で
ビシバシ指導してくるタイプで、
教会施設の紹介をする文を丸暗記し、
訪問者を案内するためのセリフを
間違えずに言えるまで帰らせない。
というような鬼のような先輩でした。
ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
少しでも間違えると
「Stop!You should say like…」
というような形ですぐに直されました。
この時は、私も必死で
速く英語を話せるようにならなければ!
と思っていたので、
あまり大変に思っていなかったのですが
周りの同僚からは
「大丈夫?」
といつも心配されていました。
(ノ≧ڡ≦)テヘッ
サドロー氏との出会い
あと2ヶ月でボランティアも
終わるというときに、
同僚だった子が
隣にある大学にもともと通っており
戻る為の手続きのために
Admission officeへ行く必要がある
という事で一緒について行きました。

そこでマイク・サドロー氏に出会い、
「あなたは大学に通ったことが
ありますか?」
と質問されました。
私は、
「大学には行っていません。」
と答えました。
すると、
「通ったことが無いのなら、
この大学に通ってみませんか?」
と言われました。
自分の英語力は理解していたので
4年制大学を英語で勉強するなんて
考えられないと思っていましたが、
サドロー氏に
「是非、高校の成績表を
家族に送ってもらって下さい。」
と言われたので、
日本から成績表を送ってもらい
サドロー氏のもとを改めて訪ねました。
彼が成績を見ると、
「あなたはこの学校に通うだけの
能力があると思います。
あとは英語のテストを受けたら
申請できると思いますよ。」
と、言われました。
私はすでに日本へ帰る期日が
決まっていたので、
「帰ってから申請して、
英語のテストを受けてみて、
それで点数が取れたら連絡します。」
と彼に話して日本へ戻りました。
自分の英語力が上がっていた

実は、
ボランティア中に頑張って
丸暗記していた効果もあって
自分の英語力が
どんどん伸びていたのは
少し感じていました。
(トレーナーに感謝!)
暗記の他にも、
時間があるときに
ネイティブの先輩と音読したり
自分が作った文章を
添削してもらうことで、
すごい速さで英語を習得することができ
ハワイに着いた約半年後には
だいたいの会話を
理解することができるようになり
簡単な言葉であれば
返答もできるようになっていました。
ボランティアに出る前は
「This is a pen」
しか話せず
相手が何を言っているか
全く分からなかった私が、
1年後には普通に会話したり
訪問者を案内したり
単純な英文も読めるように
なっていました。

ボランティア期間が終わり
日本に帰ってから
Brigham Young University-Hawaii
(以下、BYUH)
の申請について調べました。
BYUHには英検2級のA判定の
英語力があれば通えることが分かり
早速英検の勉強を始めました…
と言いたいところですが、
10月に日本に帰還し
色々な手続きや挨拶まわり、
バイト探しなどでバタバタして
結局勉強を始めたのは
11月に入ってからでした…
( ´•ᴗ•ก; )エヘヘ…
日本に帰ってからは、
大学の学費を少しでも稼ぐために
バイトを2つ掛け持ちし、
毎日2~3時間英語の勉強をしました。

そして、年が明けた1月27日
英検2級一次試験に挑み
無事合格
2月21日の二次試験にも
一発合格することが
できました!
試験結果は3月8日に
メールで送られてきました。
すぐに大学のAdmission officeへ
メールで連絡を入れました。
Admission Offinceからも
すぐに返事があり
テストスコアも問題ないので
手続きを進めていきます
とのことでした。
大学の申請をする段階で
家族の収入やローン、預金残高を
細かく記載する部分があったのですが
私は、家庭の状況から見ると
IWORKという
学校が用意した特別な奨学金を
受けることができるので、
是非これも申請してくださいと
連絡がありました。
これは返済不要の奨学金で、
学期ごとにおよそ2週間分の
バイト代を払えば
学費も寮費も食費も
全て払わなくてよい
という奨学金でした。
様々な手続きを終え、
無事にハワイでの学校生活を
スタートすることができました。
ハワイでの大学体験

1年生の間は、
英語が母国語ではない人たちの為の
英語のクラス(EIL)をとっており、
このクラスのお陰で
英語の基礎が非常に伸びました。
その後、
2年生後半から自分の専攻した
Elementary Education(幼児教育)の
クラスでもついていくことが
できました。
Educationのクラスは
ディスカッションや模擬があり、
資料を読んだり
授業計画書を作成したりと、
英語を使う機会がとても多かったので
すごく大変でした。( ˊᵕˋ; )
しかし、
そのお陰で英語力を鍛えられました。
授業以外では、
BYUHは様々な国から来た学生たちが
一緒に遊んだり
意見を交わしたりしていました。
他には、
Culture Nightと呼ばれる
それぞれの国のパフォーマンスを
する文化祭があり、
他の国の歌やダンスを学んだり
することができて、
とても楽しかったです!


サークル活動も活発で
国ごとのサークルがあり、
母国だけでなく
他の国のサークルに参加することで
その国の言葉や文化に
触れ合うこともできました。

BYUHは日本人の学生も多く、
私が通っていた頃は
50人弱の日本人学生がいました。
他にも、
学校やバイトが休みの日には
綺麗なビーチに行ったり、
友達とハワイ観光もしました。

大学生の間は、
勉強が大変ではありましたが
それ以上に、
知らなかった文化や人に出会い
素敵な環境で楽しむ時間も取れて
本当に最高の
大学生活でした!
そして、
無事、4年間で
卒業することができました。

奨学金のありがたさ
私は奨学金のおかげで
在学中の4年間、
親からの資金援助が
全くなくてもアメリカの大学を
卒業することができました。
そして、
返済も不要なので
高校を卒業した時のように
返す心配もいりませんでした。
一緒に大学に通っていた
日本人の友達が2人、
在学中にこの奨学金を受けたいと
相談をしてくれて手続きを手伝い、
同じ奨学金に通りました。
そして卒業後は、
国内外問わず
BYUHに行きたい知人や
奨学金を受けて大学へ行きたいと
思っている人たちから相談を受け、
その人たちに
アドバイスや申請方法を
伝えてきました。
他にもこの奨学金だけでなく、
日本の奨学金についても相談したり
話したりしてきました。
色々不安はあるかもしれないけど、大学留学は可能!

アメリカ留学は、
私のように英語力が低かった人でも
行くことができます。
特に、
BYUHは比較的英語力が低くても
入ることが可能な大学です。
倍率はほぼ2倍と
人気が高いのが難点ですが、
毎学期、
新しい学生を募集しているので
諦めずに申請していれば
通る可能性はあります。
英語に自信がなくても、
入学前の英語のオンラインクラスと
入学してからの英語のクラスで
伸ばすことができます。
学費は本土の私立大学と
比べると半分以下なので、
比較的安くおさえることの
できる大学です。
そして、
在学中はバイト先も豊富で
週19時間以内で学校以外では、
ポリネシアカルチャーセンターで
働くこともできます。
※ダンサーも学生です
入学までの手続き関係は
確かに多いしややこしいですが、
1つひとつこなすことで
クリアできます。
その為のサポートを
したいと思っています!
あなたも行ける!
将来も開ける!

今回、
なぜこのようなお話を
しようと思ったのかというと
私のように、
お金がないから大学進学を諦めたり
英語ができないから留学できない
と考えている人たちが他にもいる
というのを知ったからです。
私はご縁があって
BYUHのことを知ることができ
英語も上達できたし
4年制大学を卒業もできました。
また、
大学の生活で色々な国の学生たちと
ふれあうことで、
いろいろな考え方や
見方を知ることができ
自分の見識が
とても広くなったと感じました。
今では、日本だけでなく
世界中に友達がいて
どこかの国を訪問する際には
ガイドに困ることはありません。
(*´∇`*)(ラッキー!)
BYUHの専攻の中でも
特に、
ビジネスやマーケティング
会計学の学科が人気で、
その学科を卒業した日本人学生で
大手企業・有名企業
(アマゾン、Zoom、
楽天、Expedia、Indeed、
ゴールドマンサックス)
に就職した友達もいます。
夫も同じ大学の出身ですが
今は、
米軍基地のオフィスで働いています。
このように素晴らしい未来を
切り開くことが可能なのに、
簡単に諦めてしまうのは
本当にもったいないと思います。
私は、
自分だけではなく
もっと多くの人
特に、
留学費をできるだけ抑えて
アメリカで勉強をしてみたい
と考えている人たちを
サポートしたいと思っています!
最後に
私自身、最初は
お金もないし
英語も話せないし
理解もできなくて
留学なんて考えもしなかったのに、
BYUHに入学・卒業したことで
人生が変わりました。
今の自分や家族があるのも
留学をしたからこそです。
あなたにも同じように
自分に自信をもってもらい
将来の仕事にも活かせるものを
留学を通して学び、
培ってきて欲しいと思っています。
大丈夫
あなたならできます。
次は、
あなたが留学して
自分の人生を変える番です!
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゚ஐ⋆*